奇跡ののような5日間が過ぎ、明日からまた日常が始まっていく。
まだまだ全然総括もできないし、新たな何かが始まる気もしない。
でもずっと夢見ていたことが、とても美しい時間となって過ぎ去っていった。
20人の世話人そして約100人近くにわたる関係者と作った9月14日のティールジャーニーキャンパス(TJC)は
はっきり言って同じようなことをもう一度やってと言われても全く自身がないほどそれは奇跡的な場になった。
結果として世話人一人ひとりが僕の人生の中でかけがえのない存在になったのは間違いない。
このプロセスに関してはまたどこかで記事としてまとめたい。
去年の結婚式まで人生の中でほとんど泣いたことがない自分がこの5日間の中で何度も泣いてしまった。
14日の懇親会の挨拶の時間、全く泣くようなつもりもなく奇跡のようなパフォーマンスを出していた仲間一人ひとりを思い浮かべ
感謝の気持ちを伝えていた。そして最後の最後、その原点になっているそのフレデリックについて話そうとした瞬間、僕の涙腺は崩壊した。
5年前、まさかこのような物語がはじまるとは想像もできなかった。
だからこそ記憶が鮮明なうちに少しはテキストとしてここに書き起こしておきたい。
「今の私がこの瞬間、何をするのが最も意味があるのか?」
今回、日本に来日することが決まった時、英治出版の下田さんと私は
どうせ日本に来るんだから、少し観光でもしてもらって
日本を好きになって欲しいなという想いがあった。
しかしフレデリックは「その必要はない」という。
あくまで日本でのムーブメントを後押しするために行くんだから
自分の時間はフルにそのために使ってくれたらよいというのだ。
もしかしたら、その時にはもうこうなることは気づいていたのかもしれない。
ティール・ジャーニー・キャンパス後、衝撃的な事実を知ることになる。
それはフレデリックはティール組織に関するプロジェクトをもう終わらせるというのだ。
フレデリックは「自分の息子や娘がさらにその子供を産みたいと思えるような
世界を作っていきたい」という想いの元、人生の力点を環境問題のプロジェクトに移すことにきめた。
「決して、ティール組織に関することに飽きたとか、そういうわけじゃないんだ。
この二日間を見てもわかるだろう?僕がどんなにこの分野が好きで、情熱をそそいでいるか。
でも僕はこちらの方に人生の時間を使いたいんだ。」
実は先の予定もどんどん断っているらしく、一部の海外のクローズドな場を除いて
ほとんどティール組織の活動は残っていないとのこと。
実質今回の来日でのストーリーテリングやワークショップがフレデリックのティール組織に関する活動の最後となったのだ。
次回というのはもうないのだ。(どこかで奇跡を願ってはいるが。)
とってもやさしいリアリスト
「1時から始めよう」
ワークショップの最後の日、午前中のプログラムも盛り上がり12時15分を過ぎていた。
最後の日でもあるので交流もしたいし、自然豊かな清里の環境でもあるのでゆっくりお弁当を食べるのもありかなとも思いつつ、
全体の終わりの時間も近づいているなかで、参加者全体に「昼休みいつまでにしましょう?」とたずねた。
そうするとフレデリックが間髪入れずに「1時から始めよう」というのだ。
最後の最後一分たりとも無駄にしたくないというフレデリックの熱い思いを感じた。
今回のフレデリックとの時間の中での大きな発見はフレデリックは極めてリアリストであったことだ。
「その組織がティール組織かそうでないか?といった質問は興味をそそられない。でも今の組織がヘルシーかそうでないか?あるいは一人ひとりがエゴやシャドーから行動しているか、そうでないか?という問いからは意味のあるプロセスは生まれるかもしれない。」
「新しい組織の形を目指すときに『変化に強くなるため』とか『メンバーを幸せにしたい』とか
『俊敏な組織にするとか』それらは全然理由になっていない、その背景には必ず
具体的な「痛み」などの、極めて個人的な経験があるはずだ。その経験から話さない限り、変革は始まらない。」
今回の二日間のワークショップでは僭越ながら私と吉原史郎君もコファシリとして一緒に
進行をさせてもらった。二人とも組織変革のファシリテーターとしての仕事は本業ではあるが
あまりのフレデリックの場づくりの繊細さ、温かさ、質問の美しさに衝撃を受けた。
どれだけこの人はクライアントに真摯に向き合ってきたのだろう。
繰り返しフレデリックは言う。
「僕が言っているからって「それでいこう」というのはやめてね。僕を”上に立つ先生”にしないでね。どんな些細なことでもフィードバックをくれるとうれしい。」
フレデリックは本当に真摯にフィードバックを僕らに求めてきた。
残していってくれたもの。儀式としてのこの5日間
14日イベントの最終局面、私はステージでこう参加者に向けて話した。
「フレデリックがいるうちにできる限り質問をぶつけて、この機会に
正しいティールをしっかり理解できるようにとずっと思っていたが
それは違う気がする」と。
フレデリックも言う
「もう、僕はいなくなるんだから」
と。
フレデリックが答えをもっていて、それを教えてもらうのではなく
フレデリックがそうであったように、人として絶対失いたくない「自分の中にある正しさ」を軸に
違和感に耳をすまし、一つ一つ、今までの組織や働き方・生き方の固定観念を塗り替えていく。
私たちが学ぶべきは具体的な理論やテクニックではなくもっと根源的な部分なのだ。
ろうそくからろうそくへと火をともすように、何かフレデリックの近くにいると
人間として大切なものを本当に大切にしながら生きていくありかたが
何か身体を通じて伝染していくような気がした。
正直言ってもっともっと一緒に過ごしていたい。
フレデリックが成田空港で降り立ち、タクシーでホテルに向かう際中
決して不機嫌ではないのだが、全開の喜びのようなものは感じなかった。
15日新宿駅から山梨県へ移動する電車の道中
ちらっとちらっと窓の外を眺める頻度が上がってくる。
お弁当を食べながら窓の外を眺めるフレデリックの横顔が本当に
子供の様でかわいらしかった。
清里の森の中を散歩するときには本当に飛び跳ねるように歩き
みんなとは全く違う方向に逆回りに一人森の中を歩いていた。
本当に自然が好きなんだなあと感じた。
他にもいっぱいいっぱい忘れたくない風景がある。
・東工大の学生の人生の悩みに真剣に耳を傾け、アドバイスを送るフレデリック
・賢州はシリアスそうな表情をしているからと「これかぶりなさい」ユニークな帽子を私にかぶせるフレデリック
・まったく違うエネルギーを発しながら新しく始める環境のプロジェクトを語るフレデリック
いろんなことをそのあり方から教えてもらった。
そして、最後の最後の時間のこと。
フレデリックが一つ大事にしている考え方にソースというものがある
プロジェクトや組織には必ず一人は存在するというそのソースは
要は存在目的から呼びかけられるラジオのような声を一番近くで聞くような
立場だ。誰にでも聞こえるはずだがソースの役割はそのセンスが強い。
決してトップダウンの権力は持たないが、組織には必要な役割だという。
良く事業継承などを行う際、このソースの引継ぎがうまくいかないことが
多いという。その引継ぎをうまくいかせる方法について彼はいった。
儀式をする必要があると。きちっと明け渡す方も終わりの儀式をし
そして受け取る方も新たな始まりを祝福する。そして周りもそれを
見届ける。そんな儀式が必要だというのだ。
14日のティール・ジャーニー・キャンパスは僕にとってのすべてであった。
その日以降の事は全く考えてなかったし、むしろ考えることができなかった。
なのでその後の二日間はなんかぽっかり空いてしまったような状態だった。
今回急にフレデリックがティール組織に関する取り組みを辞めるといったときから
ずっとざわざわしていた。今思えばどこかで分っていたという気はする。
最終日の最後の最後、少人数でこの5日間を振りかえる少人数のダイアログ。
「この2日間を儀式として、日本におけるティール組織のソースを
賢州に引き渡します。」
どこかで確信はあったけど、フレデリックの口からその言葉を聞けて素直にうれしかった。
僕はフレデリックと出会えたことは運命だとずっと思っている。
フレデリックが新たな道に旅立とうとしている今
ティール組織に東洋の叡智をあわせ、進化して世界に返すこと。
今私自身そのことが自分の人生に呼びかけられている目的だと感じる。
こんな私にその大役は果たせるかわからないけれど
きっと仲間たちが助けてくれるだろう。
奇跡の時間とともに過ごしたあらゆる人に感謝。
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